2019/08/26
僕は1987年生まれのゆとり世代最初の世代です。
まず、ゆとり世代とはどの世代を指すのか。
わかりやすいほうを掲載。
ゆとり世代が社会で働き始めて早10年が経過した。
会社としても一世代の構造として組み込まれ、あるいはYou Tuberや落合陽一さんのように様々な分野で活躍している人も多いと思う。
そんな中、自分の職種がIT関連というのもあるためなのか
大小さまざまな精神疾患に悩まされる若き労働者もまた多くいる気がする。
(あくまで僕自身の見解であり、データを探してみたものの特に見つからなかったので、どこかできちんと調査してみたいです)
最終的に「多い」「少ない」の話がしたいのではなく、
ゆとり世代が今後の社会をどう生き抜くべきかを中心に考察していきたい。
ゆとり世代の働き方そのものに僕は懸念している、というのが本稿の本筋である。
さて、ゆとり世代にみられる傾向を自身の経験をベースに
私なりに分析してみる。
その第一回目。「心を分離する」
シリーズ化して各項目について少しでも役に立つ思考方法を提示できればと思う。
心が端的に二極化している傾向がある
具体例には
「自分の意見を殺してしまう」のと「自分の主張以外は聞く耳を持たない(持ちたくない)」を同時に内包している状態である。
全く二極化した思考が同時に存在しているように思えるのだ。
もう少しだけよくある事象にに落とし込んでみる。
上司から若干理不尽な依頼を受けたとする。
「明日の朝礼のスピーチ、明日までに用意しておいて」
あと一時間で終業時刻でしかもやらなきゃならないことがまだたくさんある。
コンプラ違反でない限りこのような依頼は現場でよくみられるだろう。
「業命なのでやるしかない」
「どう考えても理不尽で、やる意味あるの?」
と考えてしまう。
この乖離した思考が心に歪みを作るのである。
恐らく大半の人は、業命(=業務命令)なので言われた通り残業してでも作成するだろう。
ゆとり世代も特段文句を言うこともなく淡々とこなす。
ゆとりの世代でよく耳にしたであろう、言葉に効率化というのがある。
勉強の効率化に始まり、 業務の効率化、 見える化、業務改善etc…
同時にコンプライアンスやハラスメントなんかも同時に使われるようになったであろう。
つまり、法に順守しかつ効率よく進めるように努力を強いられてきたのである。
決してこれは間違ってはおらず、むしろ良い傾向である。
対して、ゆとり世代より上の世代は、慣習をよしとする世代が多い。
意味のないこと、非効率的なことを当たり前のようにこなす。
業命が絶対であり、言い方が雑だが法を順守しているかどうかは二の次なのである。
ゆとり世代は論理武装が得意と言われている。
これはゆとり世代であることが関係するのであろう。論理的思考を身につける教育が教育課程の中にたしかに存在した。
そのため、頭の中で無意味な議論が繰り広げられる。
「残業してまでやらなきゃならないのか?」と。
そしてこれを上司にぶつけることができない。
「上司にぶつけたところで、意味のない業命をしている時点で結果が見えている(=適当に丸め込まれる、あしらわれる)」
「上司にぶつけて評定が下がったりいじめを受けたくない」
「最悪会社をやめることになりかねない」
「仮に上司に通ってもそのうえが理解しない」
こんなところが大半でしょう。
無用な戦いを避ける傾向があると感じている。
ひとつひとつがささやかなことで反発していたら体力が持たなくなることを理解もしているのだ。
その結果、無理を押し通してしまい、
社畜化した思考に「思い」と「行動」との間に乖離を作ってしまい心を壊してしまう。
乖離した心にどう向き合うか。
まずは内に秘める思考を外に出すべきである。
ゆとり世代には戦わずに負ける癖がついていると僕は考えている。
外に出す先はこの場合の直接上司にするのではなくてもよい。
親、兄弟、友人、先輩、後輩…。
まずは自分の思いを彼らにプレゼンしてみてほしい。
合っているか間違っているかは最終的にはどうでもよいのです。
自分の考えがが間違っているかも、と思うことがそもそもよくない思考である。
「○○ということについて、私はこう思うんだけど、どう思う?」
こんな風に話をしてください。
ちゃんとレスポンスが得られないようなら、別な人に試してみてもよいでしょう。むしろ展開する相手を一つに絞らないことが大切だと思う。
そして存分に議論してみてほしい。
共感が得られるのもよいが、共感だけの情報は傷の舐め合いになることが多いため、反対意見も積極的に聞くようにしたい。
話す力がついてきたら、今度は上司にもこの質問をぶつけていけるようになると思う。
(もちろん社風や状況に大きく左右されるが)
感情的にならずに「なぜ、必要とするのか」「そうすることで会社のどのような利益があるのか」を確認できるようになるだろう。
この時に最大に有益なのは会社として方針を見直すきっかけになればよい。
もしあなたの会社が全く聞く耳を持たないのであれば、その会社に未来はないので、転職をお勧めします。
ただし、意見が通らないことと、聞く耳を持たないのでは意味が違う点に注意したい。
意見が通らないこともあると思う。それはそれで論理的にそぐわない理由を聞き出せれば納得できるはずだ。逆に言うと納得できるまで議論ができるようになりたい。
対して上司側の対応だが、これらにどう向き合うか。
まずは本音を話そうとしているところに本音で応えてほしい。
この本音、というのは率直な感想である。
ゆとり世代に建前での対応はよくない対応だと思っている。
本人の本音が見えれば心を開きやすくなるのだ。
「この人には話してもいいんだ 」 という信頼を得られるようになる。
もちろん会社の評価軸とは別に捉えるべきである。
そのうえでどう対応していくべきかを双方で模索していけば、解決はそんなに難しくはないはずだ。
彼らは聞く耳を持たない横暴な態度を一番嫌うのである。
「なるほど、一理あるな。ではこの場合はどうしようか」と相手に同意し、そのうえで思考させるのが良い結果になりえるだろう。
総論
議論の時間は絶対に無駄ではない。なので積極的に議論していくべきである。
早朝のくだらないお小言のほうが遥かに時間の無駄だ。
自分の中だけで結論をつけてはいけない。
必ず疑問を感じたことに対してその疑問をアウトプットすること。
アウトプットに関して必ず他者を巻き込むこと。
その他者を少しずつ増やしていくこと。
レスポンスのクオリティは一旦気にしない。
上司側の対応としては
きちんと時間を作って議論に持ち込むこと。
本人が納得するラインを見つけていくようにするだけでかなり改善されるはずである。
あとがき
ここから先は筆者自身の思考を展開する。
過激的な言い方をしているため 、特別読む必要はない。
いわゆるポエムである。
様々な方がみると想定して、上と分離した。
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僕自身はバチバチにバトったほうが良いと思っている。
というのも、コミュニケーション障害(いわゆるコミュ障)と言われるのは
一般的に他者からの拒絶を嫌う傾向にあると思う。
ファーストインプレッションを大事にし、当たり障りない人格を見せるようとすることが多く、自分の心を殺してしまっているのだと感じている。
他者からの拒絶を怖がるな。というのが僕の意見である。
世界中には75億人以上の人が生活している。コミュニティが変われば、いくらでも変化しようがある。そもそも人の思考なんて変動的なものであると気が付くべきだ。